「 母の衣桁 」
金井 雅之(栃木県大田原市)
両親が逝き、空き家になった実家の片づけを始めたのは、秋の終わり。長男だが、結婚して手狭なこの家を出た。30年以上経ったが、収納の様子は見当がつき、所在の気になる物もあった。
蝶番のついた赤茶色の衣桁がそのひとつだ。私を産んだ母は1歳の誕生日を待たずに逝ったので、私には母の記憶がない。悲しませたくないとの思いから、祖父母も父も、私にまっすぐ母の話をすることはなかった。それでも何かの折に、衣桁が母の嫁入り道具だったことが伝わった。時折場所を変えながら、目立つことなくいつもどこかにあった。母の物だとわかってからも、その意識を表に出すことはなかった。自分だけが意識しているように感じていた。最後は両親の寝室に置かれ、実際に服が掛かっていたので、探すまでもないと思っていた。だが、そこになかった。
捨てるはずはなく、年子の姉がすでに持ち出したのか。
何度か通ううちに、自分が使っていた2階の部屋に入った。配置は変わらないが、当時はなかった簡易タンスなどが置かれ、物置き代わりに使われていたことがわかった。入口近くの物陰に、畳まれたそれが横たわっていた。黒い埃が厚く溜まり、持ち上げると差し込み部分が外れて、透かし彫りが施された細長い板が一枚落ちた。それでも、埃を拭って修理すれば、所々塗りが剥げているものの、十分使用に耐える状態だ。
57年ぶりに手にした母の形見。形見は普通、その人との思い出と結びつくが、その衣桁は、母は本当にこの世にいた人だということを私に知らせてくる。私にとって母は初めから空想上の存在だ。この衣桁は、私を現実の母と向き合わせる少ない手がかりのひとつである。母の実在を手探りしたあとに、ぬくもりの記憶もないまま失った本当の悲しみがやってくるのかもしれない。
家の前で、久々の外気に当て、車に積み込んだ。ふと見上げると、東京スカイツリーが見下ろす町になっていたことに気がついた。