第 3477 号2015.09.13
「 季節雑感 」
霜島 ひさえ(入間市)
「暑い」から「寒い」に急激に移るのは、体も心も準備が出来ていなくて困り果てる。
夏の間ひっそりと静まり返っていた冬衣の入った箪笥の引き出しの中を確かめるが、まだ毛のセーターは早いし、厚手のスラックスも何か気が進まない、しょうがないから着慣れた半袖に長めのショールを羽織る程度だが、外に出るとそれでも寒い日がある。
暑い日が懐かしくもなる。人間の身勝手さを季節の変わり目には感じてしまう。
麦茶ばかりを飲んでいた喉も、温かい紅茶や番茶を欲しがるようになり、台所仕事も、久々に湯沸かし器のスイッチを入れ昼ごはんも冷たいソーメンや麦茶は、とろりと煮た温かいうどんに代わる。
こうして少しづつ体を寒さに移行できればいいのだが、この頃の季節はあっという間ということが多いのにどぎまぎしてしまう。
今年の夏も猛暑であった。
熱中症で救急車などというみっともない事だけは避けようと暑さ対策だけは、わたしなりにクリアしたものの来月の電気代の請求書を見るのは怖い、しかし救急車に乗るか、財布を空にするか、どっちを取るかと問われれば後者を選ぶしかない。
若い頃は、暑さなんのその、積極的に肌を焼きに海に行ったものだが、その頃の陽射しの強さと今のそれとは比べものにならないから強気を戒めねばならない。
その若い頃の無防備の結果が、今、しみとなってわたしを責める。肌も決して過去を忘れないのだ。忘れたい過去はなかなか消えなくて、忘れたい過去は、「ぼけ」という壁が立ちはだかるのだ。
蝉の声が消えて、草むらでは秋の虫が鳴き、彼岸花が思いやりの赤を並べる頃になり、散歩も楽し、心もうきうきしているうちにあっという間に冬が来るのだろう。
平凡な毎日でもいい、いや平凡を望む中で、四季の移ろいだけは無くならないで欲しいと、この頃強く思う。