「 ~~~優しい思いやり~~~ 」
原田 直英(品川区)
幼少の頃、どもりの症状があった。そのため家に引きこもり友達も出来ず、いじめにもあった。野球が好きだったが、チームにも入れてもらえなかった。可哀そうに思ったのか、家に下宿していた青山さんと云うおじさんが、公園でキャッチボールをして遊んでくれた。
青山さんから後楽園にプロ野球を観に行こうと誘われた時は、嬉しくて遠足に行く児童のように興奮して眠れなかった。
ピッチャーの球の速さ、バットがボールを弾く音、ベースを駆け抜ける選手の躍動感、観衆のどよめきの中で、まるで絵巻物を見ているようだった。
「君は背番号は何番がいい?」と青山さん。
「5番がいいな、理由はないけど」青山さんは僕の無邪気な答えに苦笑していた。お弁当を食べながらなに気ない会話だったが、今でもセリフのように覚えている、
「何時か君に9人分の野球道具一式、プレゼントするよ。それで野球チームを作ったらいいよ」
「え!それ本当?約束だよ」
そしたら僕はキャプテン、背番号は5番。いじめっ子も仲間に入るだろう。
夢は夜空に上がった花火のように広がった。
それから間もなく、夏が終わろうとしている頃、青山さんは田舎の実家に帰ることになった。お別れの握手をした時、寂しくて堪えていた涙があふれ出た。
それから10年音信不通で、私は社会人になった。楽しかった思い出は色あせ、不信感だけが残った。シナリオの無いアドリブだったんだ。
ある日突然、青山さんの息子が訪れた。
「父は帰郷してから、不況の家業を継ぎ頑張っていました。が、交通事故に遭い意識不明となり長年植物人間の状態が続き、先月他界しました。父の遺品の中に貴方名義の預金通帳がありました。きっと何かお役に立つことをしたかったのでしょう」
青山さんは僕が一人ぼっちだと知っていたのだろう。そして野球は皆で楽しくやるスポーツだと云うことを教えたかったのだ。空を見上げたら、青空が雲を押しのけて広がっていた。