「 かなしい手紙 」
悠里(ペンネーム)
わたしが智子の訃報を聞いたのは、二年前、夏まっさかりの8月8日のことだった。日が暮れても、蝉がやかましく鳴きしきっていた。受話器を握る掌に、汗をかいていた。
智子は大学時代もっとも親しくしていた友人で、卒業後わたしは山梨に、彼女は実家のある東京に住んでいた。春に会ったときは渋谷で食事をし、ビルの間で開かれた薪能を見に行った話を聞き、とにかくいたって元気そうに見えたのだ。お母さんの話によると、朝から頭痛がすると言っていたのだが、昼ごろ意識を失ってそれきりだったそうだ。
「そんな」と言ってから、わたしは何を話したのか覚えていない。四谷の教会でお葬式があると聞き、住所と時間をメモして、翌日には新宿行きの<あずさ>に乗った。
小さな教会には親族とおぼしき10数名と、職場の人とおぼしき何人か、その他全部併せても30名ほどが、小さな木の椅子に座って牧師の話を聞いていた。やがて棺が会堂を横切って運ばれてきた。普段化粧っ気のない智子の唇には紅が塗られ、頬にも紅がはたかれてなんだか別人のようだった。ふと気付くと胸の上で組まれた手の上に、一枚の葉書が置かれている。それは、わたしの出した暑中見舞いだった。
雲に向かって一本の木が生えている。その下で手を振る麦わら帽子の人、そんな絵の上に下手くそなわたしの文字が貼りついていた。これが、彼女の受け取った最後の手紙だったのだ。そして、おそらく読まれることのなかった手紙。だからこうして棺の中に入れられて、彼女といっしょに葬られようとしているのだ。
手の甲の上で不安定に揺れる葉書を目で追いながら、不意に涙が溢れ出した。今、何が葬られようとしているのか、わたしはようやく理解したのである。わたしからも、智子からも奪われた一通の手紙の上に、ゆっくりと棺の蓋が閉ざされた。