第 3472 号2015.08.09
「 故郷の花火は招く 」
般若湯(ペンネーム)
思えば50年以上。郷里での8月お盆の花火大会。ほとんど毎年、出かけている。
記憶は遠いむかし、まだ、ものごころもつかない2~3歳のころ。
最初の出会いは衝撃的であった。突然、腹の奥まで響く大音響。夕餉のあと母の胸に抱かれての、まどろみはたちまち破られた。
目を覚ませば、軒先から堤防越しに見える夏の夜空には鮮やかな光が炸裂。やがてそれは散華となり、大空いっぱいに拡がっていく…。いまでも、ありありと思い出す。
当時わが家は川沿いにある大きな商家の一隅。借間住まい。昭和30年代の地方都市では普通であった。まだ戦後があちこちに残り、衣食住どれもがつつましかった時代の父・母・弟の4人暮らし。そんな中で一年を通じて最大のイベントは部屋の窓を開け放つだけで眼前に見える夏の花火大会であった。そんな特等席の思い出、一生の財産だ。
夢見る頃が過ぎ、進学で郷里を離れる。それでも、ちょうど、お盆の時期。この時ばかりは帰省しており、すでに戸建の家に移った実家から、いそいそと花火大会にでかけたもの。
そして結婚。やがて帰省して花火を見に行く家族に、子どもがひとり、ふたりと加わるようになった。
やはり最初はびっくりする。光と大音響に、子どもたちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔。興奮のなかの2時間は夢のように過ぎ去っていく…。
最近10年くらいは、郷里の友人が堤防べりの「特等席」を用意して招いてくれるようになった。この日ばかりは、各地に散った親戚縁者も集まってくる。20人以上の老若男女。夜空を見上げるうちに大団円。
今年も友人から招待の知らせが来た。こころ高まる。
馬齢は着実に進み、家族も増えていった。でも、うれしいことに夏の風物詩は変わらない。あの花火、今年は誰と出かけようか。