第 3458 号2015.05.03
「 ほんの一言 」
西田 昭良(横浜市)
「お降りのお客様はバスが停留所に着いて、扉が開いてから席をお立ちください」
この頻繁な車内アナウンスが生まれたのは、最近、高齢者の乗客が急増して車内での転倒事故も多くなったからだそうだ。また、高齢者の乗降には時間が掛る。その累積が道路渋滞と重なって、時刻表を無意味にするような大幅な遅延の原因でもある、と聞く。
或る日、乗り合わせたバスが停留所に着いて、降車扉が開いたのに誰も降りる気配がない。乗客たちの不可解そうな視線が車内を走る。早くしろよ、という催促がその裏に隠れていた。
乗客の中にはセッカチの人もいるだろうし、少しでも早く目的地に着きたい、と気が急いているかもしれない。私もこのバスがこれ以上遅れると、病院の予約時間に間に合いそうもない。
ややもして、
「ちょっと待ってくれ、尻が上がらんのだ」と言いながら、杖を持った高齢者が懸命に立ち上がろうとしている。他の乗客の気持ちを察知したこの゛ほんの一言"で、車内の空気がいっぺんに和らいだ。隣に座っていた女性が手を貸してやった。
どんなにセッカチな人でも、どんなに急くことがある人でも、緩慢な動作の高齢者の心の中に一度は入り、明日は我が身、と悟った時、その人の心は湖のように闊達になる。
江戸時代末期から明治にかけて日本を訪れた外国人が驚嘆したことは、高齢な女性がいとも容易に新聞を読んでいること。また男女を問わず、他人を慮るほんの一言がよく街頭で耳に入ること、と何かで読んだことがある。前者は日本の教育水準の高さ、後者は生活習慣における思いやりと品格の高さであろう。
あの時代から百年以上が経っている。荒んだ空気が幅を利かすようになってきた現在こそ、他人の心を忖度するほんの一言が望まれる時は無いだろう。