第 3456 号2015.04.19
「 赤い糸 」
西村 亮子(ペンネーム)
元来夢見がちな性格ではないのだけれど、“赤い糸”の存在だけは信じている。
大学2年の春、遊びにやって来たクラスメートの一人が、我が家のアルバムの中に知人を発見した。その写真は私の幼稚園入園の時の集合写真で、最前列の中央に、お坊さんの様な風貌の園長先生が写っていた。彼はその初老の男性を指して、この間まで住んでいた下宿の大家さんだという。毎月隣りに住む大家さんに、下宿代を持参していたそうで、彼の部屋の窓からは、大家さんが経営する幼稚園の園庭がよく見渡せたそうだ。
卒園を待たずに都内に引っ越した私は、その後、園長先生とお会いする機会もなく、セピア色の白黒写真は、みるからに遠い昔を思わせた。「大家さんは、今もこの写真と驚くほど変わっていないよ。」と彼は言った。
この時はお互い同級生の一人でしかなかった私達は、それから6年して結婚するのだが、アルバムの中に共通の友人知人を発見した時に感じた、なんともいえない不思議な気持ちを、私は今でも忘れることができない。私が幼い一時期に通った園に続く小さな路と、遠い大阪で生まれた彼が、初めての一人暮らしに選んだ町の小路。地球上には無数の小路があるというのに、その中のたった一本の小路を、私達は互いの赤い糸をズルズルとひきずりながら、行ったり来たりしていたのだ。その二本の赤い糸の先と先を結んだのは、園長先生に違いない。
来年私達は共に還暦を迎える。その間“赤い糸”は何度かハラリとほどけそうになった。いいえ。赤い糸はほどけない。もしほどけたとしたら、それはもっと赤い色の糸ではなかったのだろう。
それにしても、人の縁とは、本当に不思議なものである。