第 3424 号2014.09.07
「 形見の夕暮れ 」
秋吉 善一(ペンネーム)
盛夏が去り、わずかだが夕方頃に秋風が感じられるようになった。我が家では戸締りをしながら、西の空を眺めて「今日も良い夕焼けだよ」と報告しあうのが日課となっている。
庭にそびえるマキの木とサルスベリの間から、わずかに見える夕焼け。
6月頃の夕暮れが一番好きだ。だんだん日が伸びてゆく様子は、明日が希望の一日になると予告されているようで、たまらなく嬉しくなる。サルスベリも枝を伸ばし、同意してくれるかのようだ。
しかし8月も末となると、次第に夕暮れは早まってゆく。猛暑を予告するかのような強いオレンジ色だった夕焼けも、やわらかく静かな、肌色に近い色合いに変化してきた。やがて冬がきて、紫色の重々しい夕焼けが見られるようになるのだろう。
そんなことを母に話すと「私、どの光もきれいで好き。また一年が巡るって感じがするわ」と言われた。
この庭は二年前に亡くなった祖母が、丹精こめて整えた庭だ。
几帳面な祖母だった。毎日、新聞で日の出・日の入りをチェックしては「ああ、今日も一日が終わった」と呟いてマキの木とサルスベリの間から、暮れなずむ空を眺めていた。
現在、庭の手入れは母の担当となっている。そう遠くない将来、私の担当となるのだろう。だが、それでいい。九十歳で大往生した祖母のように、巡りゆく自然を楽しみ、花鳥風月を愛でて生きよう。最近では、そんなことを母と話している。