「 家族登山 」
カンイチ(ペンネーム)
リハビリと称し、御岳登山を父が強く望むようになったのは、退院後、半年たった四月だった。「大丈夫。このとおり、一人で買い物だってできるんだ。愛ちゃんだって、この間、遠足で行ったじゃないか」―。
父の言うとおり、御岳は小学生の孫も登った、標高九二九メートルの低山といえ、甘く見るのは禁物だ。幸い、症状は軽かったものの、初期の脳梗塞を発症した父である。
発見が早かったのと、医師の適切な治療によって今は元気をとり戻したが、一時はどうなることかと、家族一同、不安な夜を重ねた記憶は新しい。若い頃から山男で鳴らした父の、武勇伝は武勇伝として、家族は万一を思い、素直にうんと言ってあげられない。
それでも父はあきらめなかった。
「大丈夫。御岳山にはケーブルカーがある!」
実際父は、これまでどおり団地の三階まで自分の足で昇り降りするほか、退院後は、二時間のウォーキングを欠かさない。黙々と汗を流して〈その日〉に備える父を見て、私は医師と相談し、まだしぶる母を説得した。
当日は日本晴れだった。私が二人分の荷を背負い、父は手ぶらで颯爽と出た。
油断だったのは、「カメラは俺が一これだけは自分で持っていく、首にぶらさげて行くから、いざというとき両手がつかえる」と言ってきかない父に、
「それは十分わかっているけど、今日だけは俺に持たせてくれよ。シャッターチャンスにはすぐ出せるから」母と二人説得するのにいそがしく、肝心のそのカメラを忘れたこと。
父愛用の無骨な一眼レフは、残念ながら、終日玄関にあったが、下山までの一瞬一瞬の記憶は、私たち家族―父と母、私と弟夫婦子供あわせて八人一のまぶたに、永遠にきざまれた。今日一日の、本当に、ほんとうに楽しかった山行は、かけがえがない。
父の満面の笑みにつづいて、母のとびきりの笑顔が、家族に花咲いた。