「 さよなら、トウキョウ 」
ふろらんたん(ペンネーム)
20数年前の春、世はまさにバブル絶頂の時代のある日、寝台列車で故郷を後にした。
特別な理由なんてない。ただ単に都会に憧れ、生活してみたいと思っていただけ。
照れ屋で意地っ張りな母は駅まで送ってくれたが、ホームには来なかった。「2,3年で戻ってくるよ」「うん」
ぎこちない親子の会話。母の目は、ぼんやりと地面のどこかを見つめているようだった。
当時電話帳みたいに分厚かった就職情報誌で職を探すのは拍子抜けするぐらい簡単だった。
何もかもが初めての都会で、頂けるお給料でそれなりに満足し、無欲に働いた。
自己主張の強いバリバリ仕事の出来る先輩、外国人の技術者、お坊ちゃま然とした社長。小さな職場で少しずつ自分の意識が変わっていく気がした。先輩の言葉に傷ついてお風呂で髪を洗いながらひっそりと涙を流した日々を経て、一丁前に反抗する身分になっていた。
数度の転職を繰り返し、生活に困らないお給料も手にするようになり、いつしか20年以上の年月が流れていた。
甘えん坊で依頼心の強い性格を隠し、無理に肩肘を張って生きてきた気がする。いつも人の目が気になった。自分に自信なんて全然なかった。
楽しくて、このまま幸せな時間が永遠に続くといいのに、と思う時期もあった。
30歳のある夕方、独りで暗い部屋の片隅にいた。兄の「お誕生日おめでとう」の電話に必死に涙を堪えて「ありがとう」を返した。
喜び、悲しみ、孤独…全て都会での月日に刻まれた。
春に故郷に帰ることを決心した。50代だった母は既に後期高齢者になり、私も50代となった。長身でお洒落だった母はとても小さく丸まった姿になり、気の強さも少しだけ影を潜めた。そりゃそうだ。2,3年のつもりがその10倍も長居してしまったのだもの。
家の近所を歩くと、時々涙が出そうになる。また訪れることがあるのだろうか。
今心に浮かぶ言葉。さよなら、トウキョウ。たくさんの思い出ありがとう、忘れない。