第 3398 号2014.03.09
「 白木蓮によせて 」
田口 正男(渋谷区)
今年も庭の白木蓮が咲いた。釣鐘状の花が純白の群れになって、碧空にぽっかりと浮かんでいる。例年桜に少し先立って咲くこの花は、寒い冬をしのいできた私たちに、待ち兼ねた春の訪れを告げてくれる。中国名を「玉蘭」というらしいが、いかにも品のある美しい名だ。
秋半ば、この花は刈り込まれた枝先きに、点々と蕾をつける。
越冬して早春には蕾もふくらみ、ぐんぐんと大きくなる。が、春分がくるまでは銀色のうぶ毛に包まれたまま、冷たい風雨など冬の名残を耐えている。春一番の到来で目覚めた蕾がぼころぶ開花直前の、無数の燭台を捧げたような樹影もまた愛しい。
暖かな朝、陽光が降りそそぐ庭に出た。空を仰ぐと木蓮は一斉に開花して、まぶしいほどの白い花弁がそよ風に揺れていた。思わず走り寄って、幹をたたく。また一年が巡ったのだなあーと、感慨無量の想いが込み上げてきた。
所帯を持って間もなく、狭い庭に咲く見事な白木蓮に魅了され、此処に移り住んだ。かれこれ半世紀以上になる。庭木を好んだ妻は三人の子育てと春の開花を楽しみに、長年庭いじりにいそしんできた。妻はよく咲きたての花弁をかき取り、口に含んでみてぷんと香る甘くさい春の風情に愛着を寄せていた。去年まで開花を共に楽しんでいた妻は、七月に急病で一夜のうちに帰らぬ人になってしまった。
見上げる碧空を、そこだけすっぽりと切り取ったように、花は純白の塊になって咲き誇っている。まるで白い小鳩の群れが羽を休め、喜びに胸をふくらませているようだ。
しばらく幹に背をもたれて満開の白木蓮に見惚れていると、足許に大きな花弁が一ひら、二ひらと落ちてきた。私はその一ひらを拾い上げ、口に含んだ。目の前にふっと、かげろうのようにとりとめのない、妻の笑顔が浮かび上がった。