「 夢から覚めない三月 」
松本 友紀(江東区)
十年間中学校の教員を勤め、退職してから七年になるが、今でも自分が教室にいるリアルな夢を見る。実際に接した生徒たちが出てきて、私は本気で叱ったり、笑ったり、泣いたりしているのだ。教師としての生活は今でも続いているかのように。
二月は逃げていく月、三月は去っていく月と言われるほど、年が明けてから卒業式を迎えるまでは、あっと言う間だ。夢のような卒業式を一度だけ体験したことがある。担任をしていた先生たちに、若かった私は本気でぶつかり、彼らと正面から向き合おうとした。口うるさかった、厳しかったけれど、生徒の人間性や行動をほめようと努力した。朝も昼も放課後も、いつでも生徒と一緒の場にいた。もちろんすれ違いや誤解もあったし、嘘や裏切りもあった。生徒が私に失望することもあったことだろう。
さまざまな想いが去来するなか、卒業式は終わりを迎えて、卒業生が退場する場面にさしかかった。そこで突然生徒たちが起立し、一番手のかかった男子生徒の「先生、ありがとうございました!」の声。全員が声をそろえて「ありがとうございました!」と言ってくれた。
胸が打ち抜かれたような衝撃だった。涙がとめどなく流れ続けた。先生とか生徒とか、大人とか子供とかを超越して、一緒に過ごした同志から「お疲れ様」と言ってもらえたような気がしたのだ。
彼らは卒業後、自分たちの道を歩み、燃え尽きた私は、翌年教師を辞めて故郷に帰る道を選んだ。教師のプロでもなく、評論家でもないけれどこれだけは言える。生徒はひとりの人間であり、教師もひとりの人間であるということ。人間が人間に対して、どれくらい敬意と愛をもって認め合いながら接することができるか、これが学校という場に必要ではないのか。三月の声を聞きながら、まだ夢から覚めない頭で、こんなふうに思うのだ。