「 冬の庭 」
児玉 和子(中野区)
雨上がりのどんよりした冬の雲間から、うす陽がさしてきた。
野鳥の飛来はこんな日の午前中に集中する。メジロ、シジュウガラ、ウグイス、ヒヨなど、三月ころまでは冬鳥が多い。昨年の春は、庭にとりつけた巣箱から八羽のシジュウガラが巣立った。シジュウガラは巣立ったあと一族でにぎにぎしくやってくる。幼鳥のさえずりがきこえると私は反射的に数を数える。八羽だったら我が家から巣立ったと思えるのに、私の動体視力では数えられない。シジュウガラはこのセレモニーを終えると、あとは単独でやってくる。メジロやウグイスも一羽でやってきて、せわしなく枝から枝を渡る。
こんなところにヒヨがくると、一斉に飛び立ってしまう。ヒヨの姿を見たときに限らず、小鳥たちはいつもあわただしく飛び回り、数分で潮が引くように飛び去ってしまう。私はこの短いひとときがなんとも楽しい。
ジョウビタキは、皆の引き揚げるのを待つようにして、そっとやってきて枝に止まる。
金茶色の羽根の背に白い紋を二つつけている。俗に紋付鳥といわれる由縁である。
ジョウビタキは紋付き姿に似ず、長い尾羽根を力なく下げ、絶えず小さくふるわせ、枝を渡り歩くこともせず、途方にくれたようにしばらくとどまって、やがて飛び去ってゆく。
ジョウビタキを初めて見たのは、夫の両親と同居した年の師走だった。
葉を落とした柿の木に止まっている美しい小鳥を指差して姑は「ジョウビタキは紋付き姿で、年末年始の挨拶まわりをするのよ」と言った。
昭和十年、夫の両親はここに居を構えた。そのころの姑は茶会を催した。
或る新年の茶会で、紋付姿のジョウビタキが、外路地の客を楽しませたと、姑は昔を懐かしむように話した。戦争はそんな生活を姑から奪った。空襲で茶会も家も灰になり、焼け跡に建てた小さな家で終戦を迎えた。そして戦後のインフレで庭の半分を手放した。
昭和四十五年、私たちは家を建て直し、年老いた両親と同居することにした。
川の流れのように、立ち止まることを知らない新旧交代の姿を、ショウビタキもまた、世代交代をしながら、折々にみてきたのではないだろうか。私がここで過ごした三十年余年の歳月は、六人だった家族を私一人にしてしまった。だがこの狭庭に四季折々の小鳥が訪ねてくれるかぎり、山里からジョウビタキが挨拶にきてくれるかぎり、都会の一隅にあって、私の生活は華やぐ。