「 暖炉のある風景 」
野原 圭(ペンネーム)
誰もいない部屋、外は雪に覆われ、音はすべて呑み込まれた。窓の傍らの暖炉で、パチパチと火花に彩られた薪が燃えている。
りんごの木は細いけれど香り高く、堅い櫟(くぬぎ)は火床をゆっくり保ち、明々と熾(おき)を作る。熾火が白い灰となって燃え尽きるまでのわずかなひととき、カキリ、カキリ、と乾ききったかすかな音が聞こえる。大地に根を張り、森を造ってきた木々が、灰となって再び土に還る別れの挨拶だ。
穏やかにたゆみなくゆらぐ炎は、人を寡黙にし、言葉から解き放たれた心は自由に遊び、その襞に奥深く沈んでいた想いが浮かんでは消えていく。苦い記憶、寄る辺ない寂しさ、押し込めていた悲しみを、ゆっくりゆっくり温めながら、ゆらゆらと優しく炎に包み込んでいく。暖炉の前の静けさは、豊かな時と安堵に満ちている。
薪はくべかたひとつで様々な表情をみせる。1本では燃え合う相手がなく、やがて炎は消えてしまうけれど、多すぎれば火が勢い余って暴れ出す。薪同士をぴったりつけてしまうと、息ができない、とばかりに煙をいぶりだす。ほどよく隙間をあけると、火は薪の間からチロチロと顔を覗かせ、心地よい温もりを醸し出す。
この世に生きる物同士、お互いの関わり方を、森の命だった木が最期に語り伝えようとしているようだ。
人は火という素晴らしき道具を手に入れ、その形を様々に変えた。暖炉に懐かしさを想うのは、火を最初に得た驚きと歓びを、いにしえの人々と分かち合えるからかもしれない。
暖炉は人の手で薪を足し、火床を作らなければ燃え続けてはくれないから、人気(ひとけ)のない部屋でも、暖炉に炎が踊っていれば、誰かの温もりを感じられる。
しかし、明々と燃える暖炉がなかったら、冷え切った空気と沈黙に支配された虚ろな室内は、寒さのつのる窓の外より、なお厳しく心を凍らせるだろう。