第 3385 号2013.12.08
「 もういいじゃないか 」
佐藤 悠太郎(ペンネーム)
ある冬の朝、俺がガラス戸を開けると、そこに一匹のタヌキが居た。
じーっとこっちを見て、俺から目を逸らさない。
人間の俺と出会って、普通サッと逃げるかだろうが、そのタヌキは怯えた様子も見せずに、腰も引けてない。
「何だ? お前は?」というと
「俺は、お前だ!」と言う。
「何?」と、俺は呆気にとられた。いや、毒気にあてられた、と言うべきか。
その内、そのタヌキは、獣の鋭い目から、段々優しい愛らしい目に顔つきが変って行った。
「お前、苦労したな!」と、タヌキが言う。
「ああ、それなりにな……」と返事をしているうちに、俺は過去を振り返り、終いには、涙が流れて止まらなくなった。
俺は、自分では苦労したとは思ってない。ただ、子の病いや、妻の死や、死にもの狂いで働いた事や、親からのささやかなプレゼントや、必死になって建てた家や、母親の死に二男が泣きじゃくった事や、食べる物が無くなって人に助けてもらった事や、幸せ過ぎた子供時代や精神の地獄を視た事や……
苦労なんて思ってもみなかった、様々な情景が心に浮かんで、タヌキの目の前で俺は、崩れ折れて次々と溢れる涙で身悶えをしていた。
「それで十分だ」と、庭の真ん中に居るタヌキが そう言った。
「何だよ。お前は一体 何者なんだよ?」
と俺は涙声で問うた。
「俺は、お前だ。本当のお前の心の中の姿だ」と、タヌキは言って……
タヌキは、タヌキは、まん丸な石になった。