第 3382 号2013.11.17
「 私は、歌った 」
魚津 かずこ(ペンネーム)
詩を書いている私は、歌を習い始めてから作曲するようになった。
「ことば」のもつ静謐さを、もっとリズミカルにしたら楽しいだろう、と思った。それに、「ことば」に移し替えた「感情」をリズミカルに転移してみたかった。
私にとって、新たな挑戦だ。
生きている時間が長くなると、思い出と同時にゴミも積もってくる。喉元に何かがひっかかるのは全然楽しくないし、腹の底から声を出してみたい。それで、歌を習うことにした。
地味な発生練習を1年続けた。私の歌の先生のおかげだ。いままで耳にしたこともない自分の声に気づくことができた。他人には小さな一歩であっても、自分には大きな前進である。先生はそういうことを、一緒に喜んでくれる。自分の喜びのように。
そう変らない年齢、親しみやすい人柄、誠実さ、上品さに出会えたことが何よりうれしかった。
自分もあのスーザン・ボイルのように、いつか輝けるかもしれない。うぬぼれでもいいと思う。
詩も音楽も、みんなのためのもので、みんなが楽しいと感じるから愛される。
ある詩が有名になったり、ある音楽が有名になる。それは、その作品のもっている力や運であるかもしれない。
けれど、つくった人の思いに優劣があるわけではない。
自分を楽しませ、誰かを喜ばせてくれるもの。
そういう心が何より必要じゃないかと、私の小さな可能性が叫んでいる。