第 3376 号2013.10.06
「 満月の夜に 」
児玉 和子(中野区)
その夜は満月だった。
いつもは暗い夜道が月明かりに白く浮かびでていた。
私は久しぶりの母の来訪が待ちきれず、十五分ばかり歩いて駅に出迎えることにした。
二歳の娘の手をひいて、住宅街の静かな道をあるいていると娘が突然、
「お月さまが美和子についてくる」と言った。
立ち止まって空を仰ぐと、近くの家に塀のなかからケヤキの大木が夜空に延び、その枝に満月がひっかかっていた。
「お月さまはいい子についてくるのよ、ほら、美和子が止まったらお月さまも止まったでしょ」私は天文学者が首をかしげそうなことを言った。
「うん」娘はときどき月を仰ぎ、満足そうに手をひかれて歩いた。
そのとき車が入ってきた。私は道のはしに寄って車をやりすごした。
「あ、お月さまも止まった」娘はうれしそうに言った。
私の言葉を信じて疑わない娘に、あわい恥ずかしさが心をよぎった。
話は横道にそれるがもう一つ天文学者を嘆かせるおもいで話がある。
姉は幼い息子に、三日月さまの絵を描いてやり、月のくぼみに星を描き、「お月さまが赤ちゃんを抱っこしているのよ」と言ったそうだ。
甥は小学生になってその間違いに気づき、天文に興味を持つようになったと言った。
「あれも、逆説的教育かもしれませんね。反面教師とは違うがー」
天文学に一家言ある甥は、温かいまなざしで亡き親を評した。
黙って歩いていた娘はまた質問した。「ママにもお月さまつきてくるの?」
イエスかノーか答えねばならない。いい子のつもりの娘に、母親もいい子であらねばならない。私は流れのままに、「ママにもちゃんとついてくるわよ」と言った。
「うん」娘は私を見あげて安心したようにほほ笑んだ。
この娘は長じて、-天文に興味を持ち、いまやその道の大家に…-とはならなかったが、平凡な妻となり、母に納まった。