「 英語、そしてダンス 」
仲途 帆波(ペンネーム)
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら…」と欧米ではよく言われるらしい。
日本ならば、「元寇の際、神風が吹かなかったら」、「関ヶ原で小早川秀秋が寝返りしなかったら」、「真珠湾に米国の空母が何隻も停泊していたら」などの史上のIFは本来は禁じ手だが、実際には何人かの作家が小説化している。
私の場合も過去70有余年を振り返ってみれば、あの時こうすればよかったとの思いは当然ある。「覆水盆に返らず」ではあるが、少々お付き合い願いたい。
中学と高校の6年間でやった最大の失敗は、英語に力を入れなかったことだ。中学最初の英語の先生を私は好きになれず、真面目に勉強しない小生意気な私の態度に、当然先生もそれなりの対応をしてきた。
私の英語嫌いは高校入学後も直らず、大学入試に最も重要な科目をないがしろにしたツケは、一生涯続いたと言ってよい。大学入試に2年も浪人してしまったのは自業自得として、現役組より定年が2年早く来たのは生涯賃金に大きく響いた。その差は入社時の2年分ではなく、定年前の年収2年分となって現れた。
話を変えて男の楽しみについてだが、飛行機操縦や銃やヨットなど、よほど恵まれた立場になければ出来ないものを除いて、大概の趣味は経験してきた。
登山、スキー、ゴルフ、カメラ、麻雀、競馬、定年後の海外旅行などなど…。
やらなかったのは釣り(おか釣りも含め)だけ、と思ったらダンスがあった。
ダンスに興味はあったが、明治生まれの両親の教育は「男女七歳にして席を同じゅうせず」で、どうにも女性は苦手だった。ダンスは多分20歳代に覚えるものだろう。その頃の私は登山、スキー、カメラに夢中だったし遂に縁がなかった。
止む得ずダンスパーティーに出ても壁際の立ちん坊、辛い長い時間だった。
紳士の嗜みとして覚えておくべきだったと、今にして思うが「後の祭り」。