「 花火 」
児玉 和子(中野区)
昨年秋田大曲の花火大会をテレビの実況放映で観た。いつか臨場感を味わいたいという願いは、孫娘が秋田に嫁いだ縁で叶い、この夏の大曲花火大会に招かれた。
ひな壇風にしつらえられた見物席は、団体客に占められて騒がしいので、地元の人だけが知る静かな穴場に、一家七人は二台の車を連ねて向かった。早くも打ち上げが始まって「ドーン、ドーン」とお腹に響く音とともに、大輪の花火がフロントガラスを彩る。
二歳の曾孫はそのたびに「ウワーキレイ!ウワーウワー」と、私には到底出せない黄色い声ではしゃいだ。着いたところは穴場といわれるだけあって、遮るものひとつない、高台の平地という特等席だった。車からイスや敷物を出して見物場所を造るあいだも、曾孫は「ウワーキレイ!ウワーウワー」と繰り返していたが、はしゃぎすぎて、大会のクライマックスの頃は、疲れて眠ってしまった。
大曲の花火大会は、全国の花火師たちが、一年間心血を注いだ芸術品を、大空に繰り広げる競演の場である。一瞬にして燃焼消滅してしまう花火の宿命を承知の上で、精魂を傾ける花火師に、私は尊敬と魅力を感じないではいられない。
漆黒の空に繰り広げられる幻想の世界に説明はいらない。華麗に移り変わる夜空を、独り占めしたような贅沢な時に私は酔った。この先、夏ごとに曾孫の黄色い感嘆の声とともに思い出すにちがいないが、曾孫は今日の花火をいつまで脳裏に留めているのだろう。
子供のころ、夏は夕食後のひとときを、私たち姉弟は緑先で花火に興じた。
持たされた線香花火に母が火をつけてくれる。メラッと炎があがり、それがシュルシュル縮んで赤い火の玉になり静止する。やがて火の玉は、小さくふるえながらシュワッ、シュワッ、シュワッと、やさしい音とともに細い火花を四方にまき散らす。小さな火の玉から、長く、短く、大きく、小さく、様々な姿で踊りでる火花の姿は今も思い描くことができる。
大曲の花火大会は飛び火して、私に線香花火の硝煙の匂いまで思い出させた。