「 桃が運んだ時間 」
野末 晃秀(横浜市)
梅雨も明けて間もない日の午後に、ひと箱の桃が岡山県から届いた。
宛名を見ると、どこかでみたような、だがすぐには思い出せない名前が記されていた。記憶の糸をたどっていくと、25年前の夏の日に、アメリカの片田舎で出会い、数日間だけおしゃべりをした一人の同胞の友だちの顔へとようやくたどりついた。
25年の間、年賀状のやりとりほどの交流はあったが、その後ただ一度の会話も交流もなかった。それがなぜ今、桃なのだろう?ちょっと勇気を出して、差出人の欄に記されている番号にお礼の電話をかける。
数回の呼び出し音のあと、もしもし、と懐かしく、飾らない声が受話器から響いた。
久しぶり、元気にしていたか?飾らない挨拶と力強い声は、どこまでも高く青い空のもとで聞いた、あの時と寸分たがわぬもので、その声はその時と同じ空気と温度と色を運んでくれた。
短いお礼のあと、どうして桃を贈ってくれたのか?と単刀直入に尋ねると、長年勤めた仕事を数年前にやめ、桃の農家としてスタートすることにしたと言った。そして、僕のところに贈った桃は、オレの最初の作品だ、と力強く笑った。なんでも最初に桃が採れたら、それを僕に贈ろう、と心に決めていたのだという。
四半世紀も前、たった数日だけ異国の地で会っただけの僕に、どうして送ろうと思ったのか?と再び尋ねると、オマエはなんとも面白く、変わった生き方の人間だったから忘れなかったのだ、と少し恥ずかしそうに伝えた。
さらに、この年齢で桃を作り始めるなんて、オレも変わりものだろう、と言うので、少しも変ではない、素晴らしいことだ、と告げると、一層力強く、嬉しそうに笑った。
これからもっともっと美味しい桃をつくるぞ、毎年ずっと送るから元気でいるんだぞ、そう僕に伝えると、電話はふわっと切れた。
今年の桃は少し固かったが、みずみずしく新鮮な味であった。
来年の桃はどんな味がするのだろう、今から楽しみである。