第 3334 号2012.12.16
「 スマホの時間 」
ロダン(ペンネーム)
電車に乗った。昼間なので立っている乗客は少なかったが座席は全部埋まっていた。吊革にぶら下がり、窓の外をぼんやり眺めながら今朝の妻との些細な争いを思い出して、ちょっと言い過ぎたかなと反省していた。
次の駅で目の前に座っていた人が降りたので座席に腰を降ろし、そしておもむろに前の席の乗客を眺めた。7人が行儀よく腰かけている。ところが、全員が下を向いている。目を閉じている人は居眠りをしているのだろうが、7人のうち6人がスマホを手にして、その小さい画面を覗き込んでいたのだ。
初めの頃は車内で携帯電話を操作している人を見て、そんなにたくさんのメールを送って連絡をとり合う必要があるのだろうかと訝しがったものだが、ほとんどの人はゲームをやっているのだよと娘に教えられて、なんだそうなのかと合点がいった。 昔は車中で何をしていたのだろう。本や新聞、雑誌を読んでいる人がかなりいた。携帯プレーヤーで音楽を聴いている人や、外の景色を見るともなく眺めている人がいた。なにか考え事でもしているのか、しきりに首をひねっている人もいた。
手持無沙汰の時間をスマホのゲームやブログでつぶすのもよいかも知れないが、今日一日のことを振り返ったり、自分の人生の来し方行く末を考えたりする時間も必要なのではないか。ゲームで暇つぶしをするのもよいが、忙しい現代社会のつかの間の空白時間なのだから、外の世界とのつながりを断って、自分と向き合う時間を持つことも大切なのではないか。スマホのスイッチを切ってボオッと窓の外を視点の定まらぬ目で眺めていると、なにか新しいアイディアが生まれて来るかも知れない。
最寄りの駅に着いたので立ちあがったところ、携帯の受信ブザーが鳴った。「胡瓜と食パン買ってきて」、妻からのメールだった。