「 マッチ 」
児玉 和子(中野区)
ずっと以前は、街頭で宣伝マッチが配られていた。
それがポケットティッシュに取って代わって久しい。昨今の生活用品で、点火を必要とする器具の殆どに、点火装置が内臓されて、マッチは窓際に追いやられた。
マッチ消費第一位だった喫煙者も、嫌煙運動などで喫煙者の数が減り、減った喫煙者の殆どがライターを使用している。百円ライターはマッチを淘汰した。
そのうち名作『マッチ売りの少女』は、マッチの説明から始めないと、物語が理解できない時代が来るかも知れない。一体、マッチの全盛時代はいつごろだったのだろう。記憶をたどると戦時中に行き当たった。
その頃二ヶ月に一回配給されたマッチは、文庫本を四冊重ねたていさいの「徳用マッチ」というものだった。絶対量不足のこのマッチで暮らすために、夏でも火鉢をしまわず、喫煙用に炭火が深く埋けてあった。
知り合いの大工さんはタバコを吸うとき、火種を火箸で挟み出すのは一回だけで、吸い終わった火の玉を手の平にころがしながら、片手で刻みタバコを煙管につめると、火の玉を吸い取り、二服目に繋ぐ至芸を見せた。そんな器用な真似のできない父は、一服ごとに大きい火種を火箸に操り悩んでいた。それほどまでに節約しても、配給日近い頃は、マッチでなく、爪に日を灯すようにして暮らした。
ある日母が残りのマッチを数えているところに出会った。私はまだ親がかりだったが、主婦の心細さは伝わった。つぎにマッチが配給されたとき、私は目立たない程度に抜き取った。箱をゆすって元通りの分量にみえるような小細工もした。マッチの隠匿横領は、完全犯罪で行われた。
一ヶ月もたったころだった。母はマッチを擦ると同時にアッと、小さく叫んでマッチ箱を土間に放り投げた。恐る恐る拾ってみると案の定、軸をきらいにならべたまま、もうマッチの役目は果たせない状態になっていた。
隠匿した非常用備蓄マッチの出番である。私には幾分後ろめたいものがあるのに、母は恥ずかしくなるほど感謝してくれた。いま思うと、非常用備蓄を考える前に、小出しにして使うという、簡単なことになぜ誰も思いつかなかったのだろう。 翌日父はどこからか、火打石を手にいれてきたが、誰がやっても火花が散るだけで、それ以上に発展せず、ついに放棄した。火打石から一歩進んだマッチに慣れた私たちは、もう火打石を扱いかねるのだった。