第 3331 号2012.11.25
「 冬の夜 」
畑中 和子(横浜市)
「こんばんは」と鍵のかかっていない玄関からいつものように男の人が入ってくる。
丁度夕食の終わった時間だ。私が5,6才の頃だろうか。
部屋には大きな火鉢。普段恐い父の顔は急に笑顔になりその人を迎える。
小さな私はその時間が好きだった。
火鉢の心地よい温もりに手を添えて、真っ赤な炭の塊を見つめ、大人の話を聞いていた。話は繰り返し同じようでもあった。
きっと父とその人は幼な友達だったのだろう。
父は勤め人、その人は大工さん。父は「まさやん」と呼んでいた。
暖房のない部屋でも大きな火鉢のまわりは暖かかった。
それは紀州の海と山に囲まれた小さな町の私の幼い頃の冬の夜の記憶だった。
私は高校までその町で過ごし、京都の短大へ、そして大阪に勤め、結婚して神戸に住み夫の転勤で横浜へ。あの小さな町で生を受けた私の65年の人生は都会へ都会へと故郷を遠くへ追いやった。
あの火鉢一つの部屋に比べ、しっかり鍵を締めたこの街の寒さはなんなんだろう。
藍色の火鉢のあの温もり。大人の大きな笑い声。
平和な冬の夜だった。