第 3327 号2012.10.28
「 本屋さんで長居出来る? 」
篠宮 晴子(東久留米市)
その昔。と言っても20代中頃まで、本屋さんに入っても何をしていいかわからず、入口から入って、ツーッと通って、また入口からただ出て行く。そんな具合だった。身の置き所がないのだ。
いったい皆何をしてるんだろうって思ってた。イヤ、もちろん本読んだり見たりしてるのはわかるけど、そんなことだけでどうして時間を費やせるのか全く想像すら出来なかった。ぜーんぜん面白くも何ともない場所。
本なんて面白くなかった。子供の頃家の中で音楽は流れてたけど、本はなかった。高校の時クラスメートがあれ面白いね、なんて話しているのを聞いて読んでみたりもしたけど、普通に面白い、ただそういう感じ。次の本につながっていく、なんてことは残念ながらなかった。
勤めていた時職場の上司が何故か本好き。私が本を読まないことを知ると、事ある毎に3冊ぐらい本をくれてよこす。持ち帰ってもしばらくは積んだ読だった。でもその高さがくずれそうになった時、何となく手にとって読み始めた。
遅い、誠に遅い私の読書の始まりだ。
今、私にとって本屋って何だろう。
未知との遭遇の場所かも知れない。形は本をいう体裁をとってるけど、それは未だ知らない世界への扉。そんな扉が五万とある場所。どの扉を開けるか、それを決めるのは私。決まるまではそそる何冊かが私を呼び止めるけど、決まってしまえばもう家にトットと帰って、あるいは我慢出来ずに帰りの電車で読み始めたくなる。
やっぱり長居は出来ない。以前よりは少しは本を読む様になった私だけど、やっぱり今でも思う。長居出来る人って何してるの?
喫茶店でなら、好きな本を持ってって読んだり、通りを歩く人を眺めたり、外の景色にみとれたり、そこのおいしいケーキを食べたり、日がな一日過ごせるんだけどなあ。