第 3321 号2012.09.16
「 モネとジヴェルニーの画家達 」
TN(ペンネーム)
「モネとジヴェルニーの画家達」をBunkamuraのミュージアムで見てきた。地下1階のドゥゴマの冷気を避け、一階にあるレストランで、今見た興奮を時間をかけおさえるように、妻はホットチョコレート、私はアルコールの温もりが欲しかったので、赤のワインを頼み、とりとめのないおしゃべりをするのはしあわせな事だと思った。
パリでは、オルセー美術館で「太鼓橋の睡蓮がすてきだったね」と私が言う。「あの時行けなかったジヴェルニーに東京で行けるとは思わなかったわ。機会があれば、実際にこの目でジヴェルニーの風景を余すところなく描いて、春夏秋冬の四季の光景がせつないほどの甘い光とその反映で、私達はまだ余韻に浸っていた。
「僕は、“積みわら(日没)1891年作”が印象に残ったね、あの晩秋の麦畑に夕方の赤い光に彩られた点々とした積みわらが、まるでいつまでも、そこにあるように、・・あれは小さいころのノスタルジアのようだ」とワインのアルコールが印象を強めたのか、わたしが言うと、「そうね、あの積みわらの下の方の赤い筆さばきは印象なのね、実際赤くはならないのだろうけど、印象では赤いのよ。印象派と言われたわけよね」と、ホットチョコレートの温もりを手で感じる仕草で妻が言う。
あの透明な心地よさを表現するのに、言葉より絵画を選んだのは、正しいと思う。人生86年の丁度半分の43歳でパリ郊外のジヴェルニーに来てそこにとどまり、その地を終焉の地としたクロード・モネ。私の妻がモネを好み、それにつられて来たBunkamuraだったし、オルセー美術館だった。妻が恋い慕うジヴェルニーに、生きている間に行ってみようねという思いをしたしあわせな時間だった。