第 3319 号2012.09.02
「 ホトトギス 」
児玉 和子(中野区)
昨夜の雨に、色づき始めた柿の葉も、カラス瓜の赤い実も洗われて朝の光に映えていた。
この夏、庭にのさばった夏草や、軒下に這わせたゴーヤの蔓が、衰えをみせうら寂しい。
思い切って取り払っていると、葉の陰にゴーヤが一個残っていた。
我が家のゴーヤは短身にして肥満。どうやらこの家の女主の私に似たらしい。
葉陰に取り残されたゴーヤの、熟れて爆ぜた真っ赤な色は、以前放映されたドキュメンタリー番組『ホトトギスの托卵』をまざまざと思い出させた。
ホトトギスは、ヨシキリが巣を離れた一瞬の隙にさっと巣に入り、産卵して飛び去る。
ヨシキリは何も知らず抱卵を続けた。孵化したホトトギスは、背中にある凹みに卵を載せ、背を反らせて巣の外にほうり捨て、孵化したヨシキリは巣の淵に追い詰め、力づくで巣の外に追い出した。誰に教えられたわけでもない、本能のなせる業とはいえ、まだ羽毛も生えず目も明かないホトトギスの一連の行為は、浅ましくもおぞましかった。
巣を独り占めしたホトトギスのヒナは真っ赤な口を大きく開けて餌をねだって鳴いた。
自分よりはるかに大きいホトトギスのヒナに、不審もいだかずせっせと餌を運ぶヨシキリの、お人好しとも間抜けとも例えようのない行為を、もどかしく感じた。
そのときナレーションが入った。
『ヨシキリはヒナの赤い口を見ると、本能的に餌を運びたくなる習性があります』
それを聞いて、これも天の配剤かと一応納得したものの、天は不公平という気がした。
私は若い頃の数年を田舎で暮らしたのに、詩歌に優雅に登場するホトトギスの鳴き声をついぞ聴いたことがない。