「 メモリー 」
匿名
2004年7月31日、ロンドンヒースロー空港ターミナル4
昨年までは紀尾井町で秘書をしていた私がロンドンの大学に留学し帰国する日がきた。
一年で友人はあまりできなかったのに、皮肉なことに帰国の2ヶ月前、友人主催のパーティーで哲に出会ってしまった。
哲は鎌倉出身。父親の仕事の関係でカメルーンにて誕生し、その後もユーゴスラビア、チリと国を転々とした幼少期を送った。大学だけはと日本の大学へ入学したが、馴染めなかった。日本の代表ともいえる企業に就職、3年と決め、留学費用を稼ぎ大学院から渡英、私と出会った当時はロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の博士課程に所属していた。
流暢な英語、どこか憂いのある雰囲気に、最初は思わず英語で話しかけた。しかしサザンの話から日本人だということがわかった。哲と母国語で会話をした時、まるで異国でお米を食べた時のような安堵感が私の心に拡がった。
その後何度か会ううちに、あと数ヶ月での別れという葛藤を抱えながらも思いがけず私は恋に落ちてしまった。
7月31日は容赦なく訪れた。暑い日だった。手も遅れ、いつもと変わらず話せる相手があと数分後には遠い人になる事が信じ難い温かい時間。人生の中で数少ない、もうこれで終わりになってもいいと思える幸福に満ちた穏やかな時間の後、別れの時を迎えた。
出国ゲート。「幸福な人生とは何か大きなことではなく、自分が心地よく幸せな時間を積み重ねた記憶だよ」という哲の言葉を胸に、私は出国ゲートを通過した。そして帰国後は哲の事は振り返らず外資系金融機関に就職し、日常へと帰っていった。ただ私はあの日以来、大きなことを求めなくなった。
あれから8年。私は地方の医者の家に嫁ぐことになった。哲との温かな記憶はまだ私の心の中でふんわりと温かい。これからどんなに幸せな記憶が重なってもこのページは残したい私の幸せな記憶だ。