第 3305 号2012.05.27
「 山のロザリア 」
西田 昭良(横浜市)
車体を赤く塗った貸し切りバス「あかいくつ歌声号」が横浜市内を巡っている。みんなで歌を歌いながら市内に点在する名所を訪ねる。カラオケの移動版とでもいおうか。 老人向けのたわいない企画だが、女房が通う「歌唱の会」の先生がアコーディオン伴奏をするというので、強引に誘われた。たまには女房の言うことをきいてやろうか。それに、大桟橋や赤レンガ、外人墓地や美空ひばりの生家など、市内の名は〝点〟では知っているが、まだ〝線〟では結びつかない。いい機会だ、との思いも手伝って腰を上げた。 ガイドの観光説明や歌のリードに乗ってバスは市内をひた走る。車窓から風景や名所を頭の中で線につなげているが、途中で歌が入るたびに中断する。まあいいや、あまり欲をかかず今を楽しもう。隣の女房はいい気持ちで歌っている。 バスには乗ったが雰囲気に乗れない私。だが「浜辺の歌」、「荒城の月」、滝廉太郎の「花」や「エーデルワイズ」などが登場してくると、徐々に私は若返えり、やがて、学生時代に足繁く通った「歌声喫茶」のコーナーに入るや、私は完全に青春時代に戻ったのだった。 中でも、『山のロザリア』。 青い牧場日昏れて 星の出るころ 帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ 涙ながし別れた 君の姿よ』歌詞集を手に2番、3番と進むにつれて私の目頭は熱くなり、か細い声で『帰れ帰れも一度』と遠い昔の我が青春に呼び掛けていた。 数日前に宣告された病の再発が涙と共に郷愁を増幅させていたのだが、隣に覚られぬよう車窓に目を移しながら歌った。 気乗りがしなかったバス・ツアーが、思いがけずに鬱屈していた気持を整理し、快晴にさせ、成るようにしか成らぬ、という達観を贈呈してくれた貴重な一日だった。 たまには女房の言うこともきくもんだ。