「 あたらしい春 」
ゆ み(ペンネーム)
小学生の時、わたしはクラスで一番成績がよかった。テストはいつも100点だった。そろばんに習字にエレクトーンにスイミング、それからバレエ、どれも必死にいい成績を取った。中学生の時も、トップの成績を守り地元では有名な女子高に合格した。
でも、母は一度も褒めてくれなかった。
ただひと言、母に褒めてもらうことだけを考えて生きてきたのに、叶うことなくわたしは『おとな』になった。「褒めてほしい」という幼い感情は、いつしか「なぜ褒めてくれないのか」という醜い疑念に変わっていた。わたしはこんなに頑張っているのに。なぜ認めてくれないのか。「よく頑張ったね」とただひと言言ってもらえたら、もっと頑張れたはずなのに。わたしは心の奥底で、母が憎かった。
今年のう正月、祖母が古いアルバムを見せてくれた。去年祖父が亡くなったので、写真を見て懐かしむためだった。戦前戦後、祖父と祖母の結婚式から始まり、伯父と母の幼少期へとつづく。ページを捲っていき、わたしはあるページでハッと息を呑んだ。そこには二十歳の母が写っていた。母はカメラに向かい少しはにかんだ笑顔を作っている。その表情が、まるで生き写しのように、わたしにそっくりだった。そして、わたしと同じ哀しい瞳をしていた。何も語らぬその写真を見ながら、わたしは「母もまた祖母に褒められたことがなかったのだろう」と悟った。
今日電話で、「目黒に花見に行ったの。でもまだ3分咲きくらいで残念だった」と母に伝えると「やっぱりそっちは早いのね。うらの川の桜はまだまだよ」と言った。実家のうらの、川沿いの桜並木は、毎年我が家が待ちわびる絶景スポットだ。今年、母とその桜を一緒に見ることができたら、さぞかし澄んだ春を味わうことができるだろうと思った。「なぜ褒めてくれないのか」と思わない春は、初めてだと思った。思わず笑い出してしまいそうなほどの、胸をいっぱいの開放感に包まれた。