「 気ばたらき 」
青野 滋(川崎市)
私は東京の下町で一人暮らしをしている84歳の母の所を、妻と一緒に鰻弁当を手土産に月に一度訪ねている。その母が「最近は気ばたらきができなくなってしまった」とぽつりと言った。
ほとんど聞いたことのない言葉の意味を母に尋ねると「気を利かすこと。すぐに心を働かせること」だと言う。
確かに母は最近体の方々に不具合が出たり、物忘れが進んでいると訴えていた。しかし「気働き」のことまで気にしているとは驚かされた。そういえば、正月に娘や孫たちを連れて母を訪ね、家に帰ると母から電話があった。用件は、折角みんなが来てくれたのに寿司も取らないで帰してしまったことを心にかけてのことであった。以前には何も考えなくても自然に気働きができていた母には、それができないという自体のことが、更に心にかかることになっているようであった。
私も60歳で定年退職した後は、悠々自適と称してのんびりした生活を始め、長年のストレスや人間関係の煩わしさからは解放された。しかし一方で、周囲に気を配ったり、物事を深く考えたり、考えを書いてまとめたりしていた以前の生活は無くなった。今は自由な時間を使って旅行をしたり、ゴルフクラブを初めて手にするようになった。でも、それだけで満足のいく生活とは言えないことも心の片隅で感じている。
妻と一緒に母を訪ね鰻で一杯やって気持ちよくなり、その場でゴロリと横になる。すると母が枕を出し薄掛けをかけてくれる。うたた寝を暫くすると母と妻がしゃべっている声が耳に入ってくる。話題は私の子ども時代のことであったり、母の娘時代の苦労話であったり、今の政治や社会問題であったりする。
母の話に相槌を打つ妻の声を聴きながら、ほとんど気働きのできなくなった私に代わって、妻が母に気を利かせてくれているのかと幸せな気持ちにつつまれる。