第 3276 号2011.11.06
「 手もとの喜びに気づく 」
おぶせろ(ペンネーム)
小春日和の中、久しぶりに夫と散歩した。針葉樹林を背景になだらかにひろがる牧草畑は鋤返されて春を待つ。畑に何かを見つけた鳥が急降下してはまた飛び立っていく。葉を落としたナナカマドが赤い実をたわわにつけ、真っ青な空とふんわり浮かぶ白い雲に映えて清々しく美しい。
私は胸いっぱいに空気を吸いこんだ。かつてもこの時季に同じ所を歩いたはずなのに、こんなに空気が美味しいとは感じていなかったように思う。時折、風に乗ってくる牛舎の臭いものどかに感じられ、懐かしさを覚える。景色、空気、臭いなどのすべてが生きていることの喜びとなり体中を満たしてくれる。
5ヶ月前、私の体に考えもしなかった病が見つかった。以来治療に明け暮れる日々で、副作用が身に応えていた。たまたま治療にひと休みの期間ができた。日を追うごとに薬が体から抜けて体調も気分も回復したそんなある日、小春日和に誘われるようにして散歩に出かけたのである。
日常生活のささやかな事ではあるが、そこに自分がいて五感を働かせていられることは、なんと素晴らしいことだろう。 今までこんな風に感じることってなかったのではないだろか。気づかなかったのだ。病は辛いことだけれど、感動と喜びも与えてくれた。健康な時には馴れすぎてしまって、その素晴らしさがあたりまえのことになっていたのである。
人との絆が萎えそうになる気持ちを支えてくれる大きな力であること、ごく日常のことができることへの有り難さに気づかせてくれたのも病のおかげである。
日常のそこかしこに喜びはあるのに、それに馴れきっていた。
この日の散歩は、眠っていた感覚を目覚めさせ、新鮮な喜びとして感じられる感覚を蘇らせてくれたのである。