第 3269 号2011.09.18
「 才覚を失いつつある日本人? 」
里 木 類(ペンネーム)
先日ラジオを聴いていたら作家の曽野綾子氏が、「今の人は才覚がなさすぎる。私が子どもの頃は、親に『そんなこと才覚でなんとかしなさい』とよく言われたもんですよ」というようなことを話していた。
はっとした。そうか、才覚ってそういう意味もあるんだと。才覚私の中では馴染みが薄い言葉だ。自分の言葉として使った記憶はないし、日常的に使われているかも思い当たる節がない。あらためて辞書を引いてみると才覚とは、学才の意味もあるが、機知、機転、くふうなどの意味がある。曽野氏のいう才覚とは、多分後者のことだろう。
マニュアル人間という表現があるが、今の社会は、まさにマニュアル社会だと思う。
マニュアル化した仕事にのっとって動いているうちに、人間は才覚というものを失ってしまうのではないだろうか。昔は、職人さんなどについて奉公しながら、みよう見まねで覚えるに変わってしまって、はたしてそれで仕事で身につくのであろうか。芸は盗むものというが、然り。教えてもらうのではなくて自分の才覚で盗み取った芸の方が身につくのは、道理である。「教えてもらってないからできない」と子どもが言い訳を言い、「そうだね。教えなかった方が悪いよね」と大人があやまる。そういうやり取りをしている間に、人間は才覚をどんどんなくしていくにちがいない。