第 3266 号2011.08.28
「 風のしらせ 」
豊城まや(ペンネーム)
もう何十年も昔のことだけれど、私は秋の最初の訪れを風の音で知っていた。
ある年は読みかけの本を膝の上に伏せて、ある時は編み物をしながら、そしてある年には束ねた髪をまとめようとピンを刺しながら私は秋の訪れを知らせる風の音を聞いた。
外は八月、真夏の太陽が照りつける昼ひなか、涼しい室内に居てさえ額にじっとりと汗が滲んで来るなかで、来る日も来る日も私は本を読み、編み物をし、髪を結い続けた。
でもその本を決して読み終ることはなく、編み物も編み上ることはないし、髪がきれいにまとめ上げられることもなかった。何故といえば、それらは皆、絵の中のポーズなのだったから。その頃私は、毎年七月になると画家のT先生のアトリエに通い、秋の展覧会用の絵のモデルをやっていたのだ。
デッサンに始まって、次ぎに八号くらいの小品を仕上げ、それを大きなカンバスに写して出品用の絵に仕上げる、というのがT先生のお決まりの製作の手順で、八月も半ばをすぎる頃には、絵も八部通りは出来上がり、先生にも周囲にもゆとりが出来て、仕事のあと奥様も交えたお茶の時間も一そう楽しいものになって来る。
T家のお庭には木や花が多く、少しの風でもそれらがさやさや、ざわざわと揺れる音がアトリエの中まで聞こえるのだった。
そんな夏のある一日、その風や木や花が一せいにざわーっとざわめく、その音がついさっきまでと、まるで違うものになるのである。
「お、秋が来たなあ…。」
それを聞いたT先生は、絵筆を運びながらいう。いつも同じように。
「風の音が秋になりおったなあ…。」
私もその一瞬に秋のしらせを受けとめていた。いつものように。