第 3264 号2011.08.14
「 熱帯の蛍 」
TN(ペンネーム)
マレーシアの流行歌“アコン”のメロディーが流れてきた。甘くて高い男声のボーカルが、我々のだるい、うたた寝を覚ます。
さっきまで油椰子と、ココナツ椰子が何処までも続く高速道路を走っていた。
35℃を越える外界。高速バスは冷房をガンガンきかし、我々の疲労は、旅行も5日目になるとピークを超えた。気持ち良い座席に座ると、瞼がすぐにくっ付く。
乗務員のジェフリーは、我々を起こすときは、甘い“アコン”を流してくれる。いよいよ、セランゴール河口に着いたのだ。夕闇が、熱帯のだるさを圧倒的に増殖させている。
我々は、暗闇をひたすら待つ。シーンとした河口。名前も知らない虫の音。ボートが廻ってきた。救命胴衣を着け、乗り込む。ボートが進むと光の世界が消える。闇、闇、闇・・・
「アーッ」。河口のマングローブの林に光の束が見える。何万という数の蛍。百万の光が踊っている。手を差し伸べ、蛍を捉まえる所までボートマンが漕いでくれる。手を差し出すと、サーッと逃げる。ウエストリクスとマトリシアの二種の熱帯の蛍。
我々の回りを、光る真珠かダイヤモンドのように飛び回る。
蛍に囲まれ、一時間。我々の蛍旅は終わった。言葉は要らなかった。天を仰げば、オリオン座が天頂に輝く。赤道の直下だ。
我々は陶酔から覚めたイルカのようにバスで、街灯が光る数珠のように続く人工の高速道路を、首都クアルンプールへ向け只管走りまた、だるいうたた寝の世界に入り込んだ。