第 3260 号2011.07.17
「 トマトが運んだ幸福 」
長坂隆雄(船橋市)
終戦まじかの初夏の事、旧制中学の三年生であった私は、学校から帰途、空腹に耐え兼ねて、自転車を降り農地畑で色づいたトマトを引きちぎり、夢中でかぶりついた。
人目を忍んで食べたその時のトマトの味は、数十年たった今も忘れる事はない。土と空気の恵みの味、大自然の恩恵の味とも言ってよいのだろう。言葉では表現できないような、情愛のこもった、優しい味であった。
処が、畑の片隅で腰を屈めて除草の婦人を発見し私は驚愕した。
私を見たその婦人は『お兄さん、トマトが欲しかったらおたべ、お腹が空いたのでしょう』と、一番熟したトマトを手渡してくれた。敗戦まじかの、人々の心も殺伐としていた当時、婦人の優しい言葉は胸にしみた。私は頭をさげたまま、一言も言葉がでなかった。
その後、故郷を離れ、都会に就職した私の同郷の人との縁談の話しがあった。半ば面白半分の気持ちで見合いする事にした。
処が、その席で紹介された女性の母親を見た瞬間、私は飛び上がって驚いた。10年近い歳月が流れてはいたが、トマトの盗難を黙認してれくた婦人ではないか。併し、婦人はそのような態度はおくびにもださず、にこやかに私に接してくれた。相手の女性は、美人とは言えないが、健康そのものの、トマトのような血色の良いほっぺをした好感のもてる女性であった。こんな母親に育てられた子であれば、明るい家庭が持てるだろうと思った私は、婚約に異論はなかった。
結婚後50年、お互いに古希を越えたが、私の思った通り、母親の血を受け継いだ彼女は、人を疑う事を知らない、実に純朴な心の持ち主である。初夏の畑にトマトが色づく頃、私達夫婦を結び付けてくれた大自然の縁を有り難く感じている。