「 祖父からのラブレター 」
ヒトミ(ペンネーム)
「ピアノ、やめようかと思ってるの。」
そんな風に私が母に切り出したのは、単なる思いつきからなどではなかった。幼い頃からいつも毎日欠かさず弾くほどピアノが好きだった。家族のようであり、恋人のようであるその楽器は、私にとってかつてはなくてはならない存在であったはずなのに。月日が流れ大学入学を機に生活はがらりと変わり、私がピアノに触れる回数は目に見えて減っていった。日に日に演奏していて楽しいという感情さえなくなり、罪悪感のようなものが胸の中に蓄積しこのように切り出したのだ。もったいないけど仕方ないね、ピアノの上の埃を軽く払い母は少し寂しげにそう答えた。
そんなある日、久しぶりに部屋の掃除をしていると1本のデープレコーダーが出てきた。懐かしさのあまり思わず再生ボタンを押すと、聴きなれたピアノの演奏が流れてきた。これは確かに私が弾いたものだ。でも、どうして。しばらくすると演奏が止みそこには思ってもみない人の声が入っていた。
「ねぇ、なかなかうまいもんでしょう。孫が弾いたんですよ・・」それは、一昨年他界した祖父の声だった。私は驚きのあまり、しばらく声を出すことが出来なかった。
このカセットテープは、かつて祖父が入院している最中寂しくならないようにと私が自ら演奏した曲を吹き込んで用意したものだった。最後に祖父の声が入っていたのは、テープレコーダーの操作になれていなかった祖父が誤って録音ボタンを押してしまったがために、看護婦さんとの会話が入ってしまったのである。思えば、誰よりもピアノの発表会で大きく拍手してくれたのが祖父だった。私が演奏すると嬉しそうにしていた祖父の顔。ごめん、ごめんね。私大切なことを忘れていた。楽器を演奏するということは人の心を豊かにしたり、楽しませたりするものだったよね。
それから、私はまたピアノを続けることに決めた。私の弾いたピアノでいつかまた、誰かを喜ばすことができるように。