第 3239 号2011.02.20
「 アカシアとアレルギー 」
熊谷 貴美子(福岡市)
二月下旬の日曜の夕暮れ、商店街を歩いていると、アカシアの花の前で足が止まった。
そこだけポッコリ灯が灯ったような黄色い花の塊。花を受け取りながら、私の脳裏には故郷の我家が浮かんでいる。父が植えた何本ものアカシアの木に囲まれた小さな丘の上の小さな一軒家。
父も家も既にない。
家に帰って、もえぎ色の花瓶に生けて洗面台の三面鏡の前に置いた。アカシアの花が三重、五重に鏡に映り、辺りが華やいだ。
ところが夜遅く帰宅した夫が手を洗いながら、オーイと呼んだ。
「これは処分した方がいいぞ」
えっ、何、何故、と頭をひねりながら顔を向けた私に、夫がいった。
「花粉がいっぱい飛ぶぞ」
二月も中旬すぎると、私は鼻をグズグズいわせ始める。耳鼻科に飛び込んで花粉症の薬を処方してもらうのが恒例の年中行事だ。
しかし、と私は恨みがましくつぶやく。私は杉にアレルギーをおこすのであって、アカシアではないのだけどなあ。それに去年まではあなたはなにもいわなかったじゃないの。
夫に大きな声で反論できないのは、私のアレルギー症状は現在進行形だからだ。今や五月の連休まで続くヒノキにも感応する。
そして私の唯一のストレス解消の水泳までアレルギーに奪われた。
しかも夫の言葉を聞いたとたん、可憐な黄色の小さな綿毛のようなぼんぼりの集まりが、花粉の魂に見えてきた。
それでもその夜はゴミ袋に始末する気にはならず、次の朝を迎えた。顔を洗いながら側のアカシアをどうしたものか考えた。私は花瓶ごと抱えてベランダにもっていった。まだ花の咲かないバラの木の下、クリスマスローズとフジバカマの緑の間にそのまま置いた。
窓越しに眺めるアカシアの花は、室内よりも一層冬の曇り空に映えた。私は安心して朝のコーヒーを飲みながらアカシアを愛でた。