「 かぼちゃ屋の知恵 」
貞 末 文 子(杉並区)
落語が好きで、月に三回位あちこちの独演会や二人会に出没しています。この頃は「芝浜」や「紺屋高尾」のような客席を唸らせる大ネタよりも、客席向きの15分程度でサラッと終わる噺が好きになってきました。
かつて下町の寄席は近所の店や工場の小僧さんが気楽に通いながら、社会と人間の機微を知る学校のような場所でもあったと何かの本で読みましたが、なるほどなぁと思います。昼間、仕事で少々しくじっても、与太郎のドジな顛末を聴いては「俺はそこまでじゃない。」と安心したりしていたのでしょうね。
『かぼちゃ屋』はそんな与太郎噺のひとつ。二十歳になっても、ちっとも一人前にならない与太郎を叔父さんが見かねて、かぼちゃ屋に仕立てますが、行動は一々とんちんかん。前後にかぼちゃ入りのカゴをぶら下げた天秤棒をかついで、細い行き止まりの路地に入りこみ、方向転換できなくて、立ち往生。「(路地の先に立ちふさがる)蔵を壊せ。道を広げろ。」と騒いでいると、通りかかりの男が、「六尺の天秤棒をかついだまま、三尺の道は回れないよ。天秤棒と荷物を地面におろして、自分がくるりと向き直れが良いんだヨ」と教えてくれます。まずは、一旦重い荷物を下ろして深呼吸。相手を変えようとせずに、自分の思い込みに気づいて、心の向きを変えてみる。ちょっとしたエピソードなのですが、これって人間関係の悩みになかなか有効だと思いませんか?私は何か起こると問題そのものより、周りの人がどう思うかが気になってモヤモヤしてしまうタイプなので、そんな時は「かぼちゃ屋」「かぼちゃ屋」と心の中で唱えています。
ドジな人もおせっかいな人もケチも意地っ張りも粗忽者も乱暴者もみんなありのままにワイワイガヤガヤしている落語の世界。複雑な現代社会にも十分通用する知恵をさりげなく授けてくれています。