「 夏の小袖 」
児玉 和子(中野区)
陽が落ちた。猛暑を避けて家でクーラー漬けになっていた私は、ぶらりと散歩に出た。
向こうからゆかたを着た幼女が三人、若い母親たちに手をひかれ、金魚の入ったビニール袋をさげて、はしゃぎながらやって来た。
〈そうだった、今日はこの街の氏神、氷川神社の例大際だった〉夏祭りの宵らしく、遠くから太鼓の音も聞こえてきた。
子どもたちが成人してしまった今、お祭りには縁遠くなってしまったが、ゆかた姿の幼女たちは、私に娘が三歳児だったころの、ある夏の夕方を思い出させた。
その日は真夏日だった。私は早めに庭に水を打ち、娘に行水をさせようかと準備していた。と書いたが、今の若い人に行水の図がえがけるだろうかと、余計なことが気になる。
それはさておき、そこに隣に住む幸子ちゃんがゆかた姿できた。幸子ちゃんは娘の美和子と同じ幼稚園に通う仲良しで、何かと影響され合う仲である。
「美和子ちゃんほら」幸子ちゃんは赤い花模様の両袖を広げて、得意そうにくるりと回ってみせると帰ってしまった。
「美和子もあんなの着たい」
娘は私の恐れていたことを口にした。
さて困った。ゆかたは作っていない。
「あれは着ると暑いのよ」と言ってみたが、三歳児といえども女の端くれ、「暑くてもいい」と譲らない。この願いを叶えてやらないと欲求不満が残ると判断した私は、母が贈ってくれた三歳祝いの綿入れ友禅の着物を出してきた。綿入れちゃんちゃんことのアンサンブルである。今なら差し当たりダウンジャケットにダウンのベストといったところ。
娘は華やかな友禅模様に目を輝かせた。
私は着物に汗がつかないように、ワンピースの上から着せ、ちゃんちゃんこも重ねた。そのほうが早く降参するだろうという、深謀遠慮。
娘は大喜びで姿見の前に立ち、幸子ちゃんをまねて、両袖を広げるとくるりと回った。
「美和子ちゃん可愛いね」娘は言葉も上の空。額に汗を浮かせた赤い顔で、「もういい」と言った。
「ね、暑かったでしょ」娘は小さく頷いた。
私は見るだに暑い綿入れ友禅を脱がせ、風呂場に直行して汗を流してやった。
非道な行為の償いという気持ちも働いて、「美和子ちゃんお姫様みたいだったわよ」と負い目はお世辞になった。娘は嬉しそうに、「うん」と笑顔を見せた。
『夏の小袖』という諺は、夏に小袖をもらっても、暑くて着られない。役に立たないという意味だが、この綿入れ友禅は、夏というのに、娘心を満足させ、その母親の急場も救い、大いに役に立ってくれたのである。