「 白い日傘の人 」
久 実(川崎市宮前区)
陽射しの強い夏の日には、その人は白い日傘をさして我が家まで歩いて来ました。私の実家は長い坂道の中腹にあるので、ご自宅から20分ほどの道のりはさぞ暑かったことでしょう。彼女は私の8つ上の姉に英語を教える家庭教師で、幼い私は「のりこおねえちゃん」と呼んでいました。レッスンのある日に手紙や絵を渡すと、翌週にそっとお返事をくれる優しい人でした。覚えたての漢字を使って書いた手紙を、丁寧に直してくれたのに腹を立ててむくれるような、甘えん坊の末っ子の私をかわいがってくれました。「教子」という名前の通り、人にわかりやすく教えることが上手な先生で家族みんなの人気者でした。大学では、留学生の友人たちにお弁当を作って持って行くような温かい人柄でした。
大きくなったら私も英語を教えてもらえる、と当たり前のように信じていました。その後5歳上の兄もお世話になり、姉兄の受験が無事に終わってからは、しばらく会えない日々が続きました。6年生になったある夏、彼女が病気で突然亡くなったことを母に知らされた日のことを今でもはっきりと覚えています。私は臨海学校から戻った日で、くっきりと日焼けした自分の両手がグレイの制服のスカートの上でやけに浮いて見えました。
あれから18年が経ち、紅葉の美しい秋の日に私は愛する人と結婚式を挙げました。小さい頃から想い出がつまった古い教会の一番うしろの席に、教子さんのお母様がいらっしゃいました。涙を浮かべながらとてもステキな笑顔で、拍手する両手を差し出してくださいました。式には、旅や仕事を通じて知り合った外国人の友だちも大勢集まってくれました。私はおよそ日傘など似合わない女性に成長してしまったけれど、いつのまにか英会話の先生になり、教室のある実家にはいつも坂道をのぼって近所のこどもたちが集まり賑やかです。今年の夏は日傘を買ってみようかなと想っています。