第 3207 号2010.07.11
「 センチメンタルジャーニー 」
由 布 子(日野市)
「そう、絶対にここよ。間違いないわ。ほら、向こうに坂道も見えるし……」「だけどこの道はこんなに広かったかなー、あの時は砂利道で、でこぼこしていたよなー」「でも、やっぱりもうなかったわね」
無かったのは家。35年ぶりに訪れたのは九州の県庁所在地の住宅街。そこは私たちが新婚の日から4年ほど住んでいた家のあった場所なのだ。空き地の多かった周囲にも家が増え、途中の目印がなければまったく分からないほど様変わりしていた。夫が車をとめていた場所には3階建てのマンションが建ち、我が家のあった場所は舗装され、駐車場になっていた。当時の面影はまったく無い。
小さな家だったが陽当たりのよい明るい家だった。風通しも良くレースのカーテンが揺れていた。夏の宵は蛍が舞い込んだりもした。部屋が3つと小さな台所。その割には広い玄関とタイル張りの大きめな風呂場。学生時代、共同トイレのアパート暮らしだった夫は水洗トイレにすっかり感激していたっけ。「あの北向きの4畳半からだからさ、家だけで言えば大出世だよ」と喜んだのも忘れられない。
豊かではなかったけれど信頼と愛情とあふれる希望を抱いて、仕事に、家庭にと精を出した日々。若かった自分たちの姿が愛しい。
あの日々から遥かな時が経ち、夫もリタイアした。小さな家はもうなかったけれど、私たちにはやっぱりあの家がまだ脳裏によみがえる……。