第 3205 号2010.06.27
「 『同・級・生』 」
しゅばる(ペンネーム)
「年老いた親のことを話しているけれど、私たちだって明日のことよね」とランチをとりながらお喋りする4人は、それぞれに老いた親がいる68歳。
50年前大学の同級生だった4人は家庭をもちながらも、自分らしく生きたいと自分の立ち位置を模索して今がある。各々の半生にはオリジナルのストーリーが詰まっている。4人4様のストーリーがあるからお喋りも楽しいのだ。
思えば誰も他人のストーリーに介入しない。お互いに相手の人生を尊重しているからである。
一歩社会に出れば、そこには必ず利害関係を伴う人間関係がある。そこには人を支配したり迎合したり、あるいは、人を自分の傘下におくことに心血をそそぐ者も多い。趣味のサークルでも然り。技術が上の者の意見は、技術と関係のない議論の場なのに多少理不尽でも意見が通る。真に対等な関係にあるということはなかなか難しいことのようである。
68歳ともなれば、社会における様々な人間模様もそれなりに見えてきた。
もう面倒な人間関係に気を遣うのは厭だし、そのようなエネルギーもない。
穏やかに過ごしながら老親を看る。それだけで手一杯だ。
それにしてもこの同級生4人と過ごす心地よさは、いったい何からくるのか。
はたと気がついた。卒業して半世紀近く経つにもかかわらず、会うと学生の時に戻れる。68歳にして気分は学生。気を遣うようで遣わないでいられる。
「同・級・生」この響き・・。そうか、同級生というこの言葉の通り、まさにみな等しく同じ位置にいられるということか。このことが心地よくさせてくれているのだ。だからこそ自分らしく居られるひとときだったのだ。
これからもお互いの健康を願いながら、同級生とすごす機会を大切にしたい。