第 3203 号2010.06.13
「 心臓の薬 」
板垣 孝志(奈良県)
昭和21年生まれの私(次男)を含めて、6人の子供を、食べるだけの米が採れる田圃と畑。現金収入は、薪と炭が少々。
そんな環境のなかで、父母は子供たちを育ててくれた。
大雪の時でも、父は腰まで雪に埋もれながらも、一歩、また一歩と山に向かうのだった。
子供たちは、長男を残して、中学を出ると次々と巣立った。
働き過ぎが祟ったのだろう。父は60歳ぐらいから、心臓を悪くして、ベッドで寝起きの生活になった。
時代は東京オリンピックに万博と、高度成長期。
私も仕事・残業・クラブ活動と、忙しい毎日。
夜ともなると、酒屋のビール瓶のケースに座って、仲間たちと酒盛りの日々であった。
父から手紙が届いた「心臓の薬(救心)を送ってくれないか」というものであった。
義理の姉に遠慮でもしたのだろうか・・私は直ぐに購入して送った。「高い薬だな」とだけ感じたが、そのまま忘れていた。
私も、父の歳になった。
遮二無二働いた団塊の世代の私も、最近、動悸息切れに悩まされる日々が続く。
試しに、昔父に送った薬を飲んでみたら、楽になった。
あの頃、父はず~と、私から届くかもしれない薬を待っていたのかもしれない・・・。