第 3191 号2010.03.21
「 My dear 」
金子 冨美子(東久留米市)
四十年も昔、夫とともに英国の小さな町で暮らしたことがある。ようやくひとりで買物ができるようになったある日、こぢんまりしたスーパーのドアをぐっと押し開けたとき、背後に数人のおばあさんが。
「どうぞお先に」と思わず口をついた。と、うれしそうな顔がどやどやと店内へとつづく。しんがりのおばあさんが片目つぶって、「もうその手を離したら?日が暮れるまで押えてるつもり?いい子だ、ありがとね、マイディア」ときた。あたりの空気がふわっとなごんだ。
彼女たちが手に手に古びたボストンバッグを提げ、持参した紙製卵パックに卵を入れてもらったり、挽き肉を挽いてもらったりの光景(すでにエコ実践者でした!)とともに、このマイディアは忘れない。
さりげなく、ありがとうやおもいやりの気持ちを言葉にできるようになっていたい、往時をなつかしむとともにそう思いつつ年を重ねてきた。
先日、都内での所用をすませて帰途、夕暮の電車はかなり混んでいた。優先席を離れ吊り革を手にしたとき、青い表紙の本を抱えた高校生のお嬢さんに声をかけられ席をゆずられた。その声音としぐさがやさしくさわやかで、すんなりと好意にあまえた。
私が降りる駅でお嬢さんも降りたのをたしかめると、人の波に押されながら思わず呼びとめていた。「ありがとうございました」とくりかえしただけだったが、再びうれしかった気持ちを告げずにはいられなかったのだ。
お嬢さんは立ちどまってくれた。そのはじけるようなすばらしい笑顔と、ふいにマイディアとつづけたい私の衝動が、0.5秒間、暮れなずんだ宙に光って、そして日常が戻った。