第 3164 号2009.09.13
「 譲り合いの心 」
匿名
街路樹の植え込みで歩道が狭くなっているところで、60代と思しき女性と出くわした。
無理すればすれ違えない幅ではなかったが、女性は少し手前で私に道を譲ろうと立ち止まってくれた。
自分より年配の方に道を譲っていただくことに多少の躊躇はあったが、私は一礼し、御婦人も軽く会釈を返して通り過ぎた。何でもないことだがお互い気持ちのよいものである。
ところがこれが最近の若者となるとこうはいかない。どんな狭い道でも絶対に相手に道を譲ろうとしないのである。まるで道を譲った方が「負け」とでも考えているようにこちらにぶつかってくる勢いで向かってくるのでたまらずこちらが避ける。するとそれが当然のような顔をしてなんの挨拶もなしに通り過ぎてゆくのである。
私はいちどそういう若者にいったいどういう考えでそういった行動になるのかを聞いてみたいと常々考えているのであるが今もってその機会が無い。誰かが教えてあげれば「ああ、そうなんだ!」と納得するような話ならまだ救いようもあると思うが、万が一確信犯で我々が営々と引き継いできた世の中のエチケットなり暗黙のルールといったものを彼等独特のある種のふてぶてしさで葬り去ろうとしているのではないか、さらにこれは最近耳にするいわゆる切れる若者による数々の信じ難い事件と根底の部分で繋がっているのではないか・・・などと考え始めると少々暗い気持ちにならざるを得ない。
「近頃の若いもんは・・・」などという台詞だけは絶対に言うまいと心に決めていたはずなのであるが・・・