「 男同士 」
うさ子(ペンネーム)
去年の3月、80才で義父がこの世を去った。8月に体調が悪いと訴え精密検査を受けた時には、もう末期の癌で余命数ヶ月だと医者は私たちに告げた。義父への告知はしないことを決め、できるだけ自然に家で最後の日々を過ごさせることに私たちは決めた。義父の最後の誕生日、ふと思いついた私は、義父の大好きな野の花を買い求め、カードを添えて送った。「夫はお父さんのことが大好きなので、あと十年は長生きして下さいね」とのメッセージを添えて。
2月になり何も口にできなくなった義父が入院することになった。私たち家族は、2度と自宅に戻ることはないだろうと内心覚悟を決めていた。入院の翌日、夫が義父の髪の毛を切りたいと言い出した。すっきりさせてあげたいと、私と夫の二人で不器用ながらも義父の散髪をした。
病院を見舞うたび、無口な夫に変わり、私はなるたけ義父と話をしようと様々な問いを投げかけた。すると義父は目を細め、遠い昔を懐かしむように語り始めた。二十代の頃、会社で組合関係の活動をしていて日本各地をかけずり回ったこと、柔道を習っていて戦後間もなく知り合いから用心棒まがいのことをたのまれたこと、知り合いからもらった上寿司がこれまで食べたものの中でとびきりおいしかったこと。これまで聞いたことのない義父の武勇伝やら失敗談やらが、次から次へとビックリ箱から飛び出してくるようにあふれ出したものだ。
親族だけで葬儀をすませた後、夫がポツリと呟いた。君がおやじと話をしてくれたのが何より心のやすらぎだった、と。無口な夫と義父が言葉を交わすことはほとんどなく、それは最後の最後まで変わることはなかった。だが死に際夫の手を取り、ありがとうの言葉を残し義父は旅立った。だから互いの気持ちは十分伝わっていたのだと思う。が、それでも二人の架け橋の役割が少しはできたのかもしれない。天国のお義父さんも喜んでいてくれるだろうか。