「 のうぜんかつらの思い出 」
おくひられい(ペンネーム)
私の家の向かいの空き地にのうぜんかつらの木があります。二年前の大雪でぺしゃんこになってしまいとても心配しましたが、木がしなやかだったので植木屋さんに頼んで添え木をしてもらいどうにか昨年花をつけました。それが今年は爛慢の花をつけた私たちの眼を楽しませてくれています。木影にはまだサファイヤ色の紫陽花が咲いています。
この空いた土地はお向かいの家に生き字引と言われた先生が住んでいらして、先生にお似合いの古い家があった場所です。息子さんが東京にいらっしゃるので管理が無理というこで解体に至ったわけです。
先に亡くなった奥さまと先生はお庭を眺めるのが大好きで、私も花見やお茶にいつも誘っていただいてました。
解体は止めることはできませんでしたが、大切にしていた植木はなるべく私の庭に移植し、移植のできなかった椿と古いのうぜんかつらを残しました。春には椿、夏にはあじさいとのうぜんかつらが先生ご夫妻を思い出すよすがとなっています。
私は先生ご夫妻をとても尊敬していました。何か疑問がわくとすぐ先生に教えていただき、必ず答えが返ってくる方でした。奥さまも右半身が不自由でしたが、左手でなんでもこなすすてきな方で、若くて嫁いできた私に料理や漬物などをたくさん教えていただいたのを思い出します。
解体のときゴミと一緒に捨てられそうになってころがっていた黒い万年筆、そして自転車。万年筆はインクを吸い取るところが壊れていたので丸善で修理し、ペンケースとインクを求めました。
自転車も一台求めるくらい修理にかかりましたが、いまも大事に使っています。この二つはあと何秒で処理場というところで私に拾われ大切な先生の形見になりました。
暑い陽射しのなかで優雅に咲き誇るのうぜんかつらを見るたびに、先生ご夫妻とのおつきあいが思い出されます。