第 3152 号2009.06.21
「 好もしく見られるには 」
仲途帆波(ペンネーム)
ローマ帝国時代の哲学者キケロは、42歳を過ぎた人間は老人であると定義づけている。その42歳が日本で昔から言われている厄年と、奇妙に一致しているのは何とも暗示的で面白い。
ところが今や、平均寿命が80歳にもなろうかという時代(2004年のWHO統計で日本は世界一の82歳)、とても42歳を老人と呼ぶわけにはいかない。
最近よく言われているのが「花の60代」、大方のサラリーマンはめでたく(?)定年でリタイヤし、子育ても終って一息つける年代だろう。だから私見になるが65歳くらいからが、老人と呼べる年齢ではないだろうか。
また60歳を過ぎると急に同窓会が増えてくるが、出席してみて分かったのは、その前の10数年の過し方で到底同い年とは思えないほどの差が付くことだった。
花の60代をあっという間に通り過ぎてしまった私が今思うに、サラリーマンならそれまでの会社人間から脱皮して、地域や趣味の仲間との交流を上手に深めている人ほど、生き生きとした第二の人生を謳歌しているような気がしてならない。
ではそれを一歩進めて頭・体ともに健康で、男性女性問わず好もしく見られるシルバーエイジになるための条件とは、何だろうか。
「たしなみ」と「やさしさ」と「勇気」、私はこの三つをまず紳士の根本条件としてあげたい。─作家佐藤愛子─。
また愛子女史は、別のエッセイの中でこうも書いている。
女にサービスすることを知っている男は、何らかの点ですぐれた個性を発揮している人たちであり、心の余裕を持っている人たちである。
ここまでズバリ指摘されると私などは白旗を掲げるしかないが、せめて身だしなみには留意し、嫌みのない優しさを心がけたいと思っている。