「 入浴剤と母 」
吉本 潤子(千葉県浦安市)
母が末期ガンでホスピスで最期の時を待つ身のある日のこと。
看護士さんから、オムツの替えがないので、買っておくように言われ母が寝ている間、急いで買いに行こうと思っていたところ、寝ていたと思っていた母が、「自分の家でいる物も、お母さんのお金で買ってきていいからネ」母は看護士さんの話を聞いていたし、遠く、一時間以上かけて看護に通っていた私の身を案じて、申し訳ないという思いがあったのだろう。私は心で泣いて笑顔で薬局に走っていった。母のオムツを買いながら、せっかく母が言ってくれたのに、何も買わないのも母の気持ちをふみにじる様で、一つ手に取ったのが、お花の絵がきれいな入浴剤の缶だった。万が一、奇跡が起きて母が治ったら、自宅の風呂場に、この入浴剤をタップリ入れて、ゆっくり入ってもらいたいとも思っていた。
その後、母は静かに旅立ち、毎日私は悲しみにうちひしがれ、二年以上がたった。つい最近、部屋の模様替えをしようとい、物入れの片付けをしていた時、一個(缶)の入浴剤を見つた。この入浴剤を見つけるまで、すっかり私は忘れていた。見つけたとたんに、母がホスピスに入院していた時、母との思い出が走馬燈の様に流れ、母からの最後の贈り物である入浴剤の缶が、急に愛おしくなった。今夜は、入浴剤をあけて、ゆっくりお風呂につかろうと思い、フタをあけたら、バラの香りが、強く香った。子供たちが「今日のお風呂、すごく、いい香りネ。気持ちよかった」と言った。私は、母のことを子供たちに話さず「いい香りでしょ?
お母さんの一番好きな香りなの」と言い、自分だけの胸にしまっておこうと思った。バラの香りにつつまれ入浴していて、母の笑顔だけが浮かび、その日だけは幸せな思いにひたれ、何よりも、そのことを一番喜んでいるのは、遠くから見守っている母自身であると信じている。