第 3137 号2009.03.08
「 インカの壺 」
長 坂 隆 雄(千葉県船橋市)
私の手元に、掌にも乗るような小さな壺がある。
古びた黒光りのする、ところどころ亀裂のある、一見くだらないガラクタである。
この壺は今を去る約40年前、私が初めて商用でペルーのリマを訪れた際に、インカ遺跡の収集で有名な天野博物館を創設した故天野芳太郎氏の師弟であったT氏より由来を添え進呈されたものである。
対日貿易の代理店として営業活動のかたらわ、インカ遺跡の研究と収集に没頭しておられたT氏の家庭に招かれた際、インカの歴史を情熱をこめて説明されたのが昨日のように思い起こされる。
当時目先の営業以外に関心も薄く、頂戴はしたものの、無造作に手元の鞄に入れたものである。
帰国数年後、某百貨店が古物鑑定の催しがあり、忘れていた
『インカの壺』を思いだし、出品したところ、紛れもないインカ当時の壺であると認定された。
評価額をたずねたところ『欲しい人は100万円でも安いでしょう。併し、興味のない人には単なるガラクタでしょう』と私の心を見透かされているような返事に赤面したものである。
外貨獲得こそ戦後復興を期す我国の国是であり、その尖兵として自負心が知らず知らず、殺伐たる価額万能の心理に陥っていた我が心に、鋭く警鐘を鳴らされたような気がしたものである。
今、手元の壺を見る度に、滅び去ったインカの人々の涙と共に、T氏の友情を改めて思い、ペルー滞在当時にお世話になった方々の顔が懐かしく目に浮かび、過ぎ去った青春の夢を思い起こさせてくれるのである。
私にとってこの壺は、今では多くの人々との出会いと別れの人生を凝縮した金銭には替えられない貴重な宝である。